「書く」:浸透力を重視した、インターネットと紙が共存するこの時代の執筆力
学校で書かされる作文が苦手だった人でも、個人所有するコンピュータやスマートフォンで、自分のブログを更新してしまうのが現代です。
紙媒体と異なり、インターネット上には無限に活字が踊るスペースがありますから、良くも悪くも今の時代の文章は消費される対象です。そしてそこで求められるのは、ズバリ浸透力です。人の心に浸透する文章でなければ、膨大な活字の波濤に押し流され、消費すらされないでしょう。
最悪な文章は、評論家の垂れ流す難解な論述文です。同業者の目を気にするあまり、あえて平易な表現を捨て、読みにくい言い回しに終始するのは滑稽ですらあります。活字自体に価値があった紙独占時代ならいざ知らず、現代ではいずれ消費の対象でなくなることは明白です。
弊社は、常に活字の浸透率を意識します。読み手の心理への到達率を向上する努力を怠りません。
ただしこの部分はインターネットサイトのPVやCVRのように、数字で測定することはできません。だからこそ、読む人の気持ちをおもんばかる想像力が求められます。
というか、相手のことを考え、相手の反応を予想して行動することは、円滑なコミュニケーションそのものであり、生きていくうえでもっとも大切なことのひとつです。
弊社はリア充ならぬ、文充(ふみじゅう)を常に目指します。
「集めて編む」:無尽蔵の情報のなかから、正しいもの、有益なもののみ選び出す選球眼
弊社代表の鹿内及び、立ち上げスタッフはみな、出版元や編集プロダクションの出身です。会社の性質が非常に「編集者」属性なんですね。
編集者、編集部という単語は今も昔もよく聞きますが、実際にどういうことをしているかあまり認知されていない気もします。
使い古された表現ですが、「集めて編む」ことが編集者の仕事です。情報を集め、その中から必要なもののみをピックアップし発信していきます。
こういった昔ながらの編集者の価値は不変と信じていますが、インターネットの圧倒的な普及により、スタイルは変化しています。情報は無限にあります。しかもほとんどの情報が無料で手に入ります。だからこそ選球眼が必須なのです。集めやすくなりましたが、編むのはより慎重かつ大胆に。
編集の系譜にあるものとして、時代にあわせた集め編みスタイルを常に実践していく所存です。
「組み上げる」:文字で埋め尽くすことなく、右脳と左脳で同時に理解する立体的レイアウト
特に紙の雑誌媒体においては、デザインの複雑化が顕著です。文章で埋め尽くすスタイルの記事は減り、計算されたレイアウト、図版と文章を組み合わせた記事が好まれる傾向にあります。
DTP(デスクトップパブリッシング=PC上でレイアウトをすること)の完全な普及が、この傾向に拍車をかけていることは間違いないでしょう。PC画面の見た通りに印刷され、複雑なレイアウトも簡単な操作で設定ができます。
ある古参の編集者が「DTPが当たり前になってから、空間を活かしたシンプルなデザインが見事に消滅した」とおっしゃっていましたが、まさにその通りです。結局のところ、表現における刺激のインフレは常に進行していて、使える空間はなるべく埋め、デザインはより立体的になってきています。
ただこの傾向は、決して発信者の自己満足にとどまりません。なぜなら情報の浸透力、伝達力を追求していく過程で、ひとつの表現パターンに頼るのは限界があるからです。
文章だけ、写真だけ、より、文章と写真を計算されたレイアウトでミックス掲載させたものが表現力が高いのは自明の理。音声+映像+字幕の三位一体で攻めてくるテレビの表現力がズバ抜けているのと同じことです。
また弊社が主に扱うのは文芸ではありません。主に発信している投資や経済の記事では、どうしてもチャートという名の図形認識が関わってきますから、ビジュアル的な解釈が必要となり、活字を埋め尽くして説明できるものではありません。よりシンプルに要点だけを伝える意味でも、右脳と左脳を連動させるメディア作りが必須であると考えます。
一撃で理解できる最強の表現コンボを日夜研究し続けます。